消費社会は物欲のコントロールが鍵

pic_c013少し前ですが、iPhone6の発売前日に、早くも携帯ショップの前に並ぶ人々がTVのニュースで放映されていました。
いち早く手にしたいユーザーにしてみれば、待ちきれないのでしょうね。

新商品の発売日に、長蛇の列が出来ることは珍しくありません。
ゲーム機などのケースでは、“欲しがる子供のために、会社を休んで並んだ”と、インタビューで答えるお父さんもチラホラ。

ブランドもののバックや、洋服、可愛いアクセサリーなど街には魅力的な商品が溢れかえっています。
消費社会ですから、会社はどんどん生産して消費者にどんどん買ってもらわなければ成り立ちません。

そのため、会社は消費者がその商品を欲しくなる様にプロデュースしていきます。
買いたくなる様に宣伝したり、パッケージに工夫をしたりしています。
売られているたくさんの商品がどれも魅力的に感じるのはそのためです。

しかし、だからと言って、欲しいものを欲しいだけ買うわけにはいきません。
そんなことをしていたら、余程のお金持ちでない限り、すぐに破産してしまいます。

当然ですが、使えるお金には限りがあるのです。“お金は有限。欲望無限。”
そのため、物欲を上手にコントロールしていくことが必要になります。

 

身の丈にあった生活では貯まらない

“身の丈にあった生活”というと、見栄を張ったりして背伸びをせず、物欲を上手にコントロールした堅実な生活をしている印象を受けるのではないでしょうか。

特に無駄遣いもしていないし、節約意識もある。自分なりにコツコツと少しずつでも貯金をしている。となれば、ほとんどの人は“私は身の丈にあった生活をしている”と、思っているのではないでしょうか。

“私は無駄遣いしようと思って頑張っています”なんて人は少ないですよね。
しかし、貯まらない原因がさっぱりわからないという相談者の多くは、口を揃えて“うちは、普通の生活です”と言います。

贅沢もしていないし、買いたいものもたくさん我慢をしていると、言うのです。
いわゆる、身の丈にあった生活をしているのに、なぜ貯まらないのかわからないという訳です。
そう、ここに、お金がなかなか貯まらない大きな罠が潜んでいるのです。

 

中流意識が貯まらない原因

家計を管理していく上で大切なことは、収入の範囲内で支出を割り振ることでしたね。
支出ありきの家計管理はNGでした。

この支出ありきの家計になってしまっている原因は、実は“中流意識”にあります。
日本人は総中流意識と言われたのはもう随分と前のことになります。
経済的に富裕層、中流層、貧困層と三段階に分けると、多くの人が自分は真ん中の中流層であると感じているそうです。

お金持ちではないけれども貧乏ではない。
この意識の元で働くのは、“みんなと一緒”の生活レベルでないと感じる不安。無意識のうちに生活を“みんな”に合わせて“普通の生活”の固定観念に縛られてしまっているのです。例えば、

“高級車は買えないけれどもファミリーカーはみんな持っているし私も買えるよね。”

“よそのうちはみんな子供を塾へ通わせているのだからうちの子も。”

“一人一台のスマホは普通だから家族全員スマホ持ち”

このように“同じ中流層のみんな”を基準に生活レベルを決めてしまうと、無意識のうちに身の丈以上の生活レベルになってしまう原因となるのです。
そのため、贅沢していないつもりなのに生活が苦しいという現象が起こるのです。

みんなと一緒、普通、一般的”な生活、いわゆる身の丈にあった生活だと思っているその生活、普通だと思い込んでいる今の生活は実は贅沢なのかもしれません。収入以上の生活レベルなのかもしれません。

 

生活レベルは下げにくい

うちわや扇子で暑さをしのいでいた人が、扇風機を手に入れたらあおぐという労力から解放されます。
その代わり、扇風機代と電気代の負担が生じますね。

さらに、扇風機を使用していた人がエアコンを手に入れたら快適な室内環境を得ることができます。
もちろん、扇風機以上のコストはかかってきますけれどもね。

このように生活レベルを上げていくと、費用負担は増えますが、便利を手にすることが可能です。
お金を出せばその環境を手軽に手に入れることができます。

しかし、一旦手にしたその環境に慣れてしまうと、それが普通であると認識してしまうので、たとえ生活が苦しくなってもなかなか手放すことはできません。
一度上げてしまった生活レベルを下げることは容易でないのです。

しかも、それがみんなと同じ普通の生活であると思っているわけですから、なおさら変えようとは思いつきません。贅沢の意識のない贅沢はなかなか自分では発見することができません。
そのため、贅沢をしていないのに家計が苦しいとい状態にはまってしまうのです。
しかし、家計が苦しいのであれば“普通の生活像”に縛られて、本当の身の丈以上の生活をしているのかもしれません。